日本の創薬・バイオテックエコシステムの現状と課題を、CIC Institute ディレクターを務める加々美綾乃氏が語る。起業家マインドの変化から海外展開のリアル、今後の政策の方向性までを深掘り。ボストンでの経験を踏まえた、日米比較と実践的なアドバイスが満載のインタビュー。

簡単に自己紹介をお願いします。

加々美綾乃と申します。現在、CIC Japanが運営するディープテック関連のスタートアップ支援やイノベーションエコシステムの構築を専門とする CIC Institute においてディレクターを務めています。
博士課程までバイオ領域の研究を行い、キャリアのスタートは文部科学省でした。ライフサイエンス課や国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED)の立ち上げを経験し、その後約2年間マサチューセッツ工科大学(MIT)System and Desing Management修士課程へ留学しました。ボストンやサンフランシスコのスタートアップ・エコシステム、及びそれらと日本のスタートアップ・エコシステムの違いを研究し、CICやBiolabsといったスタートアップ支援組織の存在を知る中で、日本にもこのようなエコシステムを創りたいと思うようになりました。

帰国後、CIC Tokyo立ち上げのタイミングで参画し、現在に至ります。

数年前と比べて、2025年現在の日本の創薬・バイオテックエコシステムはどのように変化してきましたか?

今振り返ると、4〜5年前、私がMITの留学から帰国したあたりが転換期だったと思います。スタートアップ・エコシステムという言葉が日本社会にようやく浸透し始め、政府でも「スタートアップ・エコシステム拠点都市」の第1期選定や、独立行政法人日本貿易振興機構(JETRO)によるスタートアップの海外展開支援が始まりました。

当時の日本のバイオ・創薬系スタートアップはというと、まだ海外展開はそこまでメジャーではなかったかなと思います。ところが、2025年の現在、創業初期の段階(Day 0)から海外進出を前提に準備する起業家が増えています。私はこれを明確なマインドセットの転換だと捉えています。背景には、先行世代の挑戦からの学びがあります。かつて海外展開を模索した起業家たちが「Day0から海外を見据えて株主や資本構成を設計しなければ、後から巻き戻すのは非常に難しい」という教訓を共有し始めています。そうした前例の積み重ねが、次世代の起業家たちの視座を底上げしていると感じます。

現在、スタートアップ育成五か年計画の潮流を踏まえ、政府/自治体の補助金やアクセラレーションプログラムが急増しました。ただ、創薬・バイオテック領域は桁違いにお金がかかる領域なので、創薬スタートアップの成長においては、まだまだ日本国内での資金調達額が足りないという課題は残っているかなと思います。

海外と比較した際の、日本の創薬・バイオエコシステムのユニークさは?

アメリカと並べると当然ながら資金量・人材流動性・スピード感の点では差があります。ただ、アメリカの投資家や研究者が口を揃えて言うのは、「日本のサイエンスの質は高い」ということです。特に日本のアカデミアには、製薬企業の商業的圧力に左右されず、純粋に科学を追究する文化が根づいています。製薬企業の潮流にまだ染まりきっていない、ピュアな研究が多く存在することが、逆説的に強みになっていると感じます。 ただこれは今の瞬間風速的な話で、研究者の高齢化や人材層の薄まりは現実的な課題です。研究者志望者の減少、ポスト不足、そして留学生の流入減少、こうした要因が積み重なり、日本のアカデミア全体の持続性が脅かされています。 とはいえ、現在の日本は「サイエンスのシーズが弱まっている」というよりは、埋もれている状態に近いと感じます。 その種をどう発掘し、社会実装へ繋げるかが、今の日本の創薬・バイオエコシステムに問われている本質だと思います。

今後、日本の創薬・バイオテックエコシステムはどの方向に進化していくと思われますか?

現実的に、世界のメガファーマが次々と日本に研究拠点を構えるという展開は考えにくいですし、国内VCからのリスクマネー供給が劇的に増えることもないでしょう。そうした前提のなかで、日本発の創薬スタートアップがグローバルに成長するには、いずれの段階かという議論はあるものの、「海外に出る」ことは不可避な状況です。近年では、最初から米国法人を設立し、チームアップも現地で行うケースが増えています。確かに最も確実なルートの一つですが、その形だけを続けてしまうと、日本側に人材やノウハウが還元されにくくなってしまいます

私が重要だと思うのは、循環型のエコシステムをどう構築していくかです。海外で経験を積んだ人材が日本に戻り、再び次の世代に知見を伝える。あるいは、日本の製薬企業で培われた人材が、スタートアップ側に流れていく。こうした循環をつくることができれば、日本独自の強いバイオエコシステムが形成されるはずです

海外で事業開発や現地ステークホルダーとコミュニケーションする際、気を付けるべき点は?

まず最初に意識すべきは、コミュニケーションと文化の違いです。

アメリカでは、話の結論を最初に提示し、論理を積み上げていくコミュニケーションが主流です。日本のように丁寧な説明を重ねて最後に結論を述べるスタイルは、アメリカでは冗長に感じられがちです。

また、ボストンでは「サイエンスを語れること」が前提条件になります。ピッチや資金調達の交渉に立つのがビジネスサイドの担当者であっても、科学的な質問に答えられなければ信頼は得られません。特にボストンのVCや製薬企業はデータファースト。研究内容の理解が浅いと、すぐに見抜かれます。

重要なのは「自分が何をし、誰と話すのか」を徹底的に理解したうえで、ステークホルダーに合わせて話すことです。現地の文化やスタンダードの解像度を高めていくことが、海外展開の成否を分けると思います。

海外進出を目指す創薬・バイオテック起業家は、支援機関をどのように活用すべきでしょうか?

「なぜ支援機関を使うのか」を明確にすることが大切です。CICはあくまで接続点であって、目的そのものではありません。現地ネットワークにアクセスしたいのか、投資家と出会いたいのか、情報を得たいのか。その目的に応じて支援機関を選ぶことが、結果的に最短距離になります。

実際、CICを利用せずに独自のネットワークで海外展開を進めている起業家もいます。ただ、それができるのはボストンなどで働いた経験があり、現地にパイプを持つごく一部の人だけです。ほとんどの人にとって、信頼できる“つなぎ役”を活用することは、成功への重要なステップになると思います。

最後、海外展開を目指す皆様に一言

「海外に行くこと」そのものが目的ではありません。本当に実現したいビジネスが日本市場で成立するなら、それも立派な選択肢です。ただ、もし最初からグローバルを見据えるなら、早い段階でイグジットからの逆算を意識すべきです。どの国で、どのステークホルダーを相手に、どの段階で動くのか。その解像度を上げることが、戦略の質を決めます。

そして、いまは“使えるもの”が驚くほど増えました。支援機関、政府の補助金、研究連携、海外VCネットワーク。数年前は存在していても“見えていなかった”リソースが、今は手に届く場所にあります。それらを最大限に活用して、ぜひ新しい挑戦を続けてほしいと思います。