MITでプログラムディレクターを務める矢代雪衣氏が、イノベーションの原動力である産業界とアカデミアのコラボレーションを生み出す挑戦について語る。日米のキャリアや文化の違いの中で道を拓いてきた経験、柔軟な思考と行動力で築いた成功の軌跡をご紹介。
読者の皆様に、簡単に自己紹介をお願いします。
マサチューセッツ工科大学(MIT)のOffice of Corporate Relationsでプログラムディレクターを務める矢代雪衣です。教育学部を卒業後、武田薬品工業に入社し、営業戦略部での業務に加え、Diversity & Inclusion活動をリードしていました。充実したキャリア満喫していた中、夫の海外赴任に伴いボストンに帯同することを決意しました。ちょうど第二子出産と重なり、アメリカでは出産・育児と並行してオンラインでMBAを取得しました。
その後、武田薬品の理解と柔軟な支援を得て、配偶者帯同休暇中の副業制度を新設してもらうことができ、MIT発スタートアップで経営企画に従事しました。20カ国以上のバックグラウンドを持つ多国籍チームの中で企業買収に伴う文化変革も経験することができました。
しかし、新型コロナウイルスのロックダウンの影響で就労許可証の更新が遅延し、一時的にアメリカで働くことができなくなってしまいました。そこで、単身で日本に戻って別の製薬企業での勤務を経て、現在はグリーンカードを取得し、家族とともにボストンに暮らしながらMITで働いています。アメリカ生活は8年目、現職に就いて2年半が経ちました。
MITのCorporate Relationsの役割について教えてください。
MITのOffice of Corporate Relationsは、産業界とアカデミアの架け橋として、ILP (Industrial Liaison Program) とStartup Exchange Program (STEX)の2つのプログラムを展開しています。これらを通じて、世界のメンバー企業にMIT最先端の研究や技術へのアクセスを提供し、研究者との共同研究などをコーディネートしています。また、定期的にカンファレンスやウェビナーを開催したり、リサーチレポートを発行してMITで起きていることをメンバーに共有するとともに、逆に企業からのフィードバックをMITの研究活動に反映させることで、実践的な研究開発とイノベーションの社会実装の促進に貢献しています。
ILPは、三菱商事や富士通をはじめとするグローバル大企業を対象とした年間メンバーシップ制のプログラムで、製造業、IT、金融、エネルギー、ヘルスケアなど多岐にわたるメンバーが参加されています。企業数ベースで、プログラム参加企業の約20%が日本企業です。(2025年4月現在)
STEXは、成長段階にあるMIT発のスタートアップとILPメンバー企業(産業界)との共同開発やビジネスパートナーシップを推進しています。 STEXに登録されているスタートアップは、MIT技術をライセンス利用して開発を進めているか、MITの教授、研究者、卒業生が立ち上げたりシニアエグゼクティブとして会社運営に携わっている企業で、特にAI、情報通信、バイオテック、エネルギーなどの分野で革新的な技術を持つ企業が多くなっています。
プログラムディレクターとしての役割について教えてください。
プログラムディレクターとして、私の主な役割は、メンバー企業とMITのアカデミックコミュニティ(教授、研究者、学生、スタートアップ、コンソーシアム等)をつなぎ、イノベーションの創出をサポートすることです。最も重要な業務は、企業のニーズとMIT内のステークホルダーのマッチングを行い、双方にとって有益なコラボレーションの機会を特定するお手伝いをすることです。また、新規メンバー企業のボストンのエコシステムへの参画をサポートすることで、両者にとってイノベーションの促進となるよう努めています。さらに、カンファレンスやウェビナーの企画・運営を通じて、最新の技術トレンドを共有したり、ネットワーキングの場を創出しています。
企業からMITの研究者やスタートアップへの橋渡しをお手伝いすることが多いですが、逆にMITのスタートアップの日本やアジアへの事業展開に関するサポートをすることもあります。世界をより良くしたいという志を持つ優秀なアカデミアの人材と、世界をリードする企業の架け橋となり、イノベーションの創出に貢献できることを誇りに感じています。
本プログラムにおけるコラボレーションの成功例を教えてください。
ILPメンバー企業とMIT発スタートアップのコラボレーションの成功例は多数ありますが、最近公開された成功事例として、データ管理スタートアップPrescientとシュナイダーエレクトリックのコラボレーションが挙げられます。Prescientは、エッジでのデータ処理を可能にする技術を持っていましたが、その適用先を模索していた中、我々の仲介でシュナイダーとの出会いが実現しました。両社の成功の鍵は、製品や技術の優位性だけでなく、将来のビジョンの共有と、徹底的なコミュニケーションにあったと言えます。シュナイダー側は「製品を売る」のではなく「ビジョンを売る」スタートアップとの協業を重視し、Prescientもまた、明確な期待値の設定と成功へのロードマップを示すことで、信頼関係を築きました。この事例は、組織対組織ではなく、人対人の関係構築が、スタートアップと大企業の協業において最も重要であることを示しています。
日本企業がボストンにプレゼンスを広げるベネフィットは何だと思いますか?
日本企業のスタートアップに対する認識が大きく変化してきているのを実感します。従来の自社開発を前提とする立場を見直し、CVCの設立や積極的な投資活動を通じて、スタートアップとの協業を模索する企業が増えています。この変化は、日本の大企業がオープンイノベーションを通じた迅速な価値創造を重視し始めている証だと感じています。
日本にいて伝え聞くアメリカの情報と、日々全身で触れるトレンドには大きなギャップがあると思います。ですので、ボストンという多くの最先端技術が生まれる場所に身を置くことは、効果的だと思います。例えば、MIT ILPのサステナビリティカンファレンスに参加された日本企業の方が、データセンターの省エネ・脱炭素化という議題について、日米間の問題意識と議論の深さの違いに驚かれていました。AIについて議論が始まり深まったタイミングに、ボストンと日本で数年の差があったのと同様の現象かもしれません。そういったギャップを理解し先取りすることで、ビジネスチャンスを見出すことができるのではないかと考えています。
このような最新のテクノロジーやイノベーションの兆候や方向性を見逃さないためには、その発信地であるボストンのようなエコシステムに身を置き、現地のプレーヤーと密接なコミュニケーションを取ることが大切です。ここで得られる知見は、日本企業がグローバルな技術革新に遅れることなく対応していく上で、極めて重要な役割を果たすと確信しています。
日米のビジネスカルチャーギャップを感じる点はどこですか?
アメリカのビジネス文化で印象的なのは、「建設的な議論」が日常的に行われていることです。当初は、アメリカ人は単に率直な意見を述べ合うだけだと思い込んでいましたが、実際は、相手への配慮や間接的な表現も多く、また戦略的でもあります。
この「建設的な議論」の文化は、教育システムの違いに根ざしていると思います。ボストンの子どもたちは、幼い頃からクラスで自分の意見を述べ、同時に、自分とは異なる意見を受け入れることを学んでいます。一方、日本では同質的な文化環境で育つため、「自分以外もみんな同じ考えを持っている」という暗黙の前提が存在しているといえます。
このギャップを埋めるには、3つの意識改革が重要だと体感しています。第1に、意見の多様性を前提とすること。異なる文化・背景を持つ人々が集まるアメリカでは、「常識」も人それぞれです。相手と自分の考えが異なることを念頭に、それら受け止めて建設的に物事を進める姿勢が役に立ちます。第2に、恥を捨てること。日本では「これを言ったらアウト、恥ずかしい」などという自己抑制が働きがちですが、多様性を前提とするアメリカでは、むしろ自分の疑問や考えを表明することが推奨され、認められます。第3に、議論のスキルを習得すること。建設的な議論には練習が必要です。相手の意見を理解した上で自分の立場を説明し、発展の方向性や妥協点を見出すスキルは、アメリカでビジネスを成功させる上で非常に重要だと感じます。
このような文化の違い、ひいては個々人の違いを理解し、その総合力を強みとしていくことが、グローバルビジネスでの成功につながると考えています。
最後に海外への進出を検討されている方へひとことメッセージをお願いします。
海外でのキャリア・生活において、私が最も大切にしているのは、柔軟な思考と行動力です。前向きな姿勢とチャレンジ精神が私の道を切り開き、より豊かな経験へと導いてくれています。目標から逆算して計画を立てることは大切ですが、移民としての立場や急速に変化する環境下では、一つの道筋だけに執着することはリスクとなることもあります。
アメリカでの経験を通じて、「べき」という固定観念から解放されることの価値を学びました。時には時期を調整し、場所を変え、目標の確度を柔軟に設定することで、新たな可能性が見えてきます。例えば、特定の職種や業界や地域にこだわるのではなく、スキルセットを活かせる別の選択肢を模索する姿勢が、予期せぬチャンスを掴むことにつながったこともありました。
変化の速い現代で、さらには不確実性の高い海外での挑戦において、この柔軟性は大きな武器となると感じます。計画性と適応力のバランスを取りながら、変化をチャンスに変える思考が、グローバルでの成功に役立つのではないでしょうか。