アカデミアでの研究、外資系医療機器メーカーでのマーケティング経験を経て、日本発のインキュベーターを共同創業した桜井公美が、日米の医療機器ビジネスにおける市場特性、開発アプローチ、マーケティング戦略の違いを解説。グローバル展開を目指す企業への実践的なアドバイスを提供。

読者の皆様に、簡単に自己紹介をお願いします。

桜井公美と申します。早稲田大学大学院で医用工学を専攻し、慶應義塾大学病院で血液凝固研究に従事するなど、アカデミアに15年間携わりました。その後、複数の外資系医療機器メーカーで約15年間、血管内治療デバイスをはじめとする医療機器のマーケティングを統括しました。現在は、新規医療機器開発のインキュベーターとしてスタートアップ支援に注力しています。東京都先端医療機器アクセラレーションプロジェクトのカタライザーや、文科省科学技術・学術審議会専門委員も務め、医療機器業界での豊富な経験を活かし、革新的医療機器の実用化をサポートしています。

日本企業が海外展開を目指すべき理由とは何でしょうか?

日本市場は、世界第2位の規模を誇る医療機器市場であり、多くの企業が国内のみでビジネスを成立させています。しかし、グローバル化が進む中で、優れた技術やサービスを世界に広げることは、企業の持続的成長において重要な選択肢となっています。国内市場にとどまることは、技術やイノベーションの活用範囲を限定してしまうことを意味します。

台湾や韓国などの企業は、自国市場が小さいため必然的にグローバル展開を志向し、幼少期からグローバルな視点での教育を受けています。一方、日本は豊かな国内市場と整った医療保険制度に支えられ、国内だけでもビジネスが成立しやすい環境にあります。しかし、グローバル化の波は避けられません。国内市場に満足せず、より広い視野で成長戦略を考えることが重要です。日本の優れた製品を世界中の人々に届けることを考える必要があります。

日米のビジネス文化にはどのような違いがありますか?

米国企業はROIを最優先し、取引ベースの関係を構築する傾向があります。例えば、売上が低下すれば、即座に経費削減や出張制限といった対策を講じ、徹底したコスト管理を行います。「1円たりとも無駄にするな」という意識が根付いていて、年に1度の大きな学術集会であっても、業績が悪ければ参加を制限するほどの合理性を重視します。

一方、日本企業は顧客との関係性構築を重視し、長期的な信頼構築を優先する傾向があります。「関係性ファースト」の考え方が根強く、短期的な利益よりも継続的な取引や信頼関係を重視する文化が根付いています。

製品開発に当てはめてみましょう。米国企業は世界市場全体を見据えた開発を行います。改良の判断は売上への影響度を基準に行います。例えば、バルキーな製品であっても、それが唯一の選択肢であれば医師は使用せざるを得ません。そのため、医師から改良要請があっても、売上に大きな影響がないと判断されれば、改良には着手しないことが一般的です。新製品開発への投資の方が効率的と判断されれば、既存製品の改良よりも新製品の開発を優先します。

一方、日本企業は医師からの細かな要望に応える傾向があり、改良要請にも柔軟に対応します。この顧客志向のアプローチには利点がある一方で、課題もあります。例えば、電子レンジの例が象徴的です。医師から様々な要望を受けて機能を追加し続けた結果、多くの機能が搭載されているにもかかわらず、実際には1つのボタンしか使用されないような状況が生まれることがあります。医師の「これがあれば使うのに」という声は、必ずしも実際の使用につながるとは限らず、過度な機能追加は製品の複雑化や開発コストの増加を招く可能性があります。そのため、日本企業は顧客ニーズを的確に見極め、本当に価値のある改良とそうでないものを判断するバランス感覚が求められます。

米国市場で成功するために、どのような戦略が必要でしょうか?

米国市場では、同じアイデアを持つ競合が多数存在するため、製品の早期市場投入が極めて重要です。特に医療機器の場合、一度承認を取得すると大幅な仕様変更が難しくなるため、開発初期段階での市場ニーズを的確に把握することが成功の鍵となります。

ITやヘルスケアサービスの場合はアジャイル開発が可能で、市場の反応を見ながら製品を改善できますが、医療機器の場合は仕様を決定してから非臨床試験、臨床試験と進める必要があり、途中での方向転換が困難です。そのため、開発の初期段階で市場のニーズを的確に理解し、適切な製品戦略を立てることが特に重要になります。

また、陥りがちな失敗として、日本市場向けの製品を単に改良したものや、スペックを下げたバージョンを海外展開するケースが挙げられます。これは避けるべきアプローチです。各国の市場特性や医療環境を深く理解し、そのニーズに日本の技術を組み合わせた形で開発を進めることが大事だと思います。

市場調査はどのように行うべきだと思いますか?

市場調査においては、日本人スタッフを派遣するよりも、現地の人材や法人を活用することを強く推奨します。日本人が海外で調査を行う場合、どうしても日本的な視点でのバイアスがかかりやすく、実際の市場ニーズを正確に捉えられない可能性があるためです。ただし、グローバルな視点を持を持ち、異文化のビジネス環境に精通した日本人であれば、この限りではありません。

特に医療環境の深い理解が求められる場合、表面的な調査だけでは不十分です。単なるアンケートやインタビューでは、本当のニーズが見えにくく、「安ければ使う」「なくても困らない」といった本音を引き出すことは難しいでしょう。こうした深層ニーズを明らかにするには、現地の市場環境をよく理解した調査員による綿密なフィールドリサーチが不可欠です。

リスク管理において、何を考慮すべきでしょうか?

政治的リスクの考慮は極めて重要です。例えば、中国市場では政策変更により突然製品の保険償還額が大幅に下がるなどのリスクがあります。米国市場においても、政権交代や政策の変更が事業環境に与える影響を慎重に見極める必要があります。

トランプ政権の例が示すように、メディアからの情報だけでは現地の実態を正確に把握することは困難です。特に、メディアを嫌う層はインタビューを避ける傾向があり、その結果、メディアを通じて得られる情報には偏りが生じることがあります。そのため、海外市場の動向を正しく捉えるには、メディアの情報に頼るだけでなく、現地での直接的な情報収集を重視し、独自のネットワークを築くことが不可欠です。

マーケティングにおいて、日米でどのような違いがありますか?

日米のマーケティング手法には大きな違いがあり、それぞれの国の商習慣や規制に合わせた戦略を立てることが極めて重要です。例えば、米国では、患者向けの直接的な広告や製品間の比較広告が認められており、ペプシとコカ・コーラの違いを明示的に比較するような広告も可能です。

一方、日本では医療機器の広告規制が厳しく、患者への直接広告や製品比較が制限されています。また、「最上級表現」の使用も禁止されているため、プロモーション戦略は主に口頭でのコミュニケーションに依存することになります。その結果、医師と営業担当者の信頼関係を基盤とした製品説明が極めて重要となります。

このように、優れた製品や技術であっても、各市場の特性を理解せずに一律のマーケティング手法を用いては、その価値を十分に伝えることができません。成功するためには、各国の法規制や商習慣を十分に理解し、それに適したマーケティング戦略を展開することが不可欠です。

海外展開を目指す皆様へ一言お願いします。

成功には、明確な事業計画の策定、現地で戦えるチーム体制の構築、十分な市場調査と現地ニーズの理解、そして必要な資金とリソースの確保が不可欠です。特に、現地パートナーとの強力な関係構築は、成功の鍵を握ります。

事業計画を立てる際には、明確なゴール設定が非常に重要です。特に一部の限られたユーザーを対象とするニッチ市場からスタートし、徐々に拡大していくアプローチは、有効な戦略の一つとなり得ます。また、医療機器分野では、医療機器分野では、治療に関連する製品は比較的グローバル展開がしやすい特徴があります。これは、治療方法が世界共通である一方で、診断方法は各国の医療環境や制度によって大きく異なるためです。そのため、診断関連の製品を展開する場合は、より慎重な戦略が必要となります。

適切なリスク管理と十分な準備があれば、海外展開は大きな成長機会となります。ただし、それは単なる挑戦ではなく、綿密な準備と戦略に基づいた計画的な展開でなければなりません。チャレンジ精神を持ちつつも、現実的な視点で判断することが求められます。海外進出においても最も重要なのは、戦える体制とチームを構築し、その市場で本当に共創できるかを冷静に見極めることです。