臨床医からシニア研究員へと転身した今田慎也氏が、「成長する都市」ボストンでの研究環境やスタートアップでの経験、アメリカにおけるイノベーションに対する姿勢やコミュニケーションの工夫について語る。
読者の皆様に、簡単に自己紹介をお願いします。
今田慎也と申します。日本で8年間、臨床消化器外科医としてがん治療に携わった後に、消化管の分子生物学を学ぶために大学で基礎研究を始めました。博士号を取得した後、基礎研究をさらに追及するために、マサチューセッツ工科大学(MIT)のがん研究所であるコッホがん研究所に、2017年に博士研究員として着任しました。5年間の研究生活の後、ボストンのスタートアップで働き始め、現在は再びマサチューセッツ工科大学のシニア研究員として、大腸癌や消化管幹細胞の研究に従事しております。
キャリアを日本ではなくボストンで追求することに決めた主な要因は何ですか?
世界の研究をリードするアメリカで研究をしてみたいという思いです。
日本で臨床医として病院で勤務していた時には、日々の業務に追われており、海外で生活することなどは全く考えておりませんでした。大きな転機は、博士課程のプロジェクトが最終段階に入っていた頃でした。博士課程を修了後、医師としてこれまで行ってきた臨床現場に戻るのか、あるいは基礎研究をもっと追及してみたいのか自問自答していました。答えとしては後者だったのですが、どこで研究をしたいかと考えた時に、人生は一度しかないと考え、アメリカで消化管の幹細胞の研究を行っている教授に直接メールを送りました。幸い、マサチューセッツ工科大学のコッホ研究所でラボを主宰しているOmer Yilmaz教授から返信をいただき、現地でのインタビューを経て、彼の研究室で働くオファーをもらうことができましたが、この瞬間に人生のベクトルが大きく変わりました。
世界中から情熱や野心を持って人生をかけてやってくる人たちが多くいるボストンに身を置いて生活していくことは、大変刺激的です。成長していく都市の中で、自分自身も成長するチャンスがたくさんあります。人生の中でどのような仕事を行うかというのは大切ですが、どのような環境で人生を過ごしていくかというのも私にとっては大事な要素です。
ボストンのエコシステムがご自身の研究やキャリアの発展にどのように影響しましたか?
ボストンのエコシステムの中に住んでいて、これまでの一番の学びは、固定概念や既存の概念を取り払うことが、イノベーションを生み出すためにいかに重要であるかということです。例えば、これまで前例がない新しい発想に対して、日本では事例がないということで否定されがちですが、こちらでは、今までに事例がないということで逆にポジティブに取られることがよくあります。前例がないことに対する日本とは対称的な反応は、アメリカの文化も大きく関与しているのではないでしょうか。こちらのネイティブスピーカーの人たちと話していると、よく聞くのが「Interesting!」 や「 Cool! 」と言ったポジティブな言葉での反応です。まずは相手の意見を尊重して受け入れるという文化がこちらにはあります。
固定概念がないという点に関しては、職業についても言えます。日本では、私のように医学部を卒業した医学生は、2年間の研修医生活を終えると引き続き臨床医療を行い、大学病院、市中病院、開業医と勤務形態は異なれ、終生にわたり臨床医療に携わる医師の方がほとんどだと思います。一方、アメリカでは医学部を卒業後、一度も臨床医療をすることなく基礎研究を行う人、コンサルタント会社へ就職する人、CEOとして会社を立ち上げたり、ウォール街で金融に携わる人など、多岐に渡ります。私が医学部生の頃、患者さんを治してこそ医師として一人前ということを大学の先輩医師からよく聞きました。医師を育てる大学医学部は、患者さんに接する臨床医を育て上げることが、今も昔も一番の使命です。一方で、医療従事者不足や少子高齢化などの社会問題を考えると、患者さんと一対一で向き合う臨床に依存する医療には限界があります。医師の立場から言えば、医学部を卒業後、例えば会社を立ち上げて疾患を早期に発見するような技術を開発し、多くの人にその技術を届けることができれば、目の前の患者さんを治すやり方とは違う形で未来の医療に十分貢献できるのではないでしょうか。
日本人は規則に従順で、世界でも稀に見る規律正しい民族だと思います。それは素晴らしいことだと思いますが、それぞれの規則に何の疑問を持つことなく、ただ従うことは避けるべきだと思います。その規則は随分前に作られ、現在の世の中には時代錯誤になっている可能性も十分あります。規則あるいは既成概念に何の疑問を持つことなく、「これは規則だから従うべきだ」、「これまで~だったから~あるべきだ」という姿勢は、日進月歩の世界情勢に乗り遅れるだけでなく、イノベーションを邪魔するなにものでもない気がします。
ボストンのエコシステムについては、ほとんど知らずに来ましたが、ボストンに来れたことはラッキーでしたし、本当に来て良かったと思います。
複雑な研究結果を専門家や一般の人々にとって共有する際、工夫していることを教えてください
研究結果を専門以外の方も含めて他の人と共有する際に気をつけていることは、最も当たり前のことですが、(1) 何が一番伝えたいことなのか、(2) 一番伝えたいことがわかりやすく適切な順番で示されているか、ということです。ボストンに来てからカンファレンスやミーティングに参加する機会が増えると、こちらの人のプレゼンテーションの上手さには大変驚かされました。なぜなら伝えたいことが簡潔で、非常にはっきりしているからです。プレゼンテーションの最初にtake-home message(サマリー)を出している人も多く見てきました。最初に一番言いたいメッセージを持ってくることで聴衆の興味を惹きつけ、そのあとで詳細を説明していくというのは理にかなってます。一方で、日本のプレゼンテーションは、イントロが長く、結論にいたるまでに時間がかかるわりに、結論が弱い印象があります。イントロが長いために聴衆の興味が薄れてしまい、せっかくの面白い結論が結果的に弱くなってしまうことは非常に勿体ないことです。また、プレゼンテーションのスタイルも全く違います。こちらの人は、パソコンを見ることなく、聴衆と会話するかのようにプレゼンテーションを行います。それぞれのスライドで必ず伝えるポイントだけ覚えておいて、残りは聴衆の反応を見ながら、内容も説明の時間も適宜変えているように思います。
日本では、事前に準備した原稿を全て伝えることに集中しすぎて、聴衆の反応を見ることなく、パソコンを見つめながらプレゼンする人たちをよく見ました。このようなプレゼンテーションは一方通行になりがちで、自分は言いたいことを全て伝えたつもりでも、聴衆が実は全く理解できていないという事態が起こりえます。おそらく、日本人のこのスタイルは日本の勤勉性も影響しているのではと思います。事前に周到に準備するからこそ、それを一字一句漏らすことなく発表しなければといけないと思ってしまうのではないでしょうか。良いプレゼンテーションというのは、発表の後に聴衆が発表者と同じレベルに立っていて、その上でさらなる深い議論を進めていけるものだと思います。
スタートアップ企業はどのようにして自社の価値を効果的に伝え、アメリカの競合他社と差別化できるのでしょうか?
成功のチャンスは日本人を含めて全ての国の人にあると思います。現在、メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手に対するアメリカ国民の反応を見てもわかる通り、アメリカには素晴らしいものは素晴らしいと素直に受け入れ、歓喜する文化があります。
もちろん簡単なことばかりではありません。アメリカのスタートアップの半数近くが5年以内に倒産すると言われています。われわれの会社も資金調達ができず、5年の壁に跳ね返されてしまいました。しかし、ここでの全てのプロセスは貴重な経験となり、次へのステップへ繋がると確信しております。最初のスタートアップで現実をまざまざと見せつけられたわけですが、一方でボストンにはコロナワクチンでアメリカンドリームを掴んだモデルナなど、大成功したバイオテックも数多く存在します。そのような魅力的な都市だからこそ、これまで以上に優秀な人材、技術、資金が集まってきており、エコシステムの中にいることで他では得られない貴重な経験が得られると思います。
このように、ボストンにはライフサイエンス系スタートアップが挑戦するための土壌が申し分なく整っています。日本のLife Science企業でアメリカ進出を検討されている方々には、自身が素晴らしいと信じる技術や製品を日本国内に留めるのではなく、世界が注目するボストンで披露し、勝負されてはいかがでしょうか。